日本生化学会 会報(生化学)より

「知的存在感のある国」を目指して」 山本雅之

     
 
 学術審議会から「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について」という答申がなされ,表題のような副題とともに周知されたのは1999年のことである.「20世紀型科学技術」を基盤とした大量生産・消費・廃棄の文明から離れ,自然との調和を内包する持続的発展に適した「21世紀型科学技術」を開拓して,それを通して新しい文明構築への貢献を訴えた,たいへん格調の高い提言であったと記憶している.学術研究の目指すべき方向としてあげられた「世界最高水準の研究の推進」「21世紀の新しい学問の創造」「社会への貢献」の3本の柱は,その後の各種科学技術振興政策に縦糸・横糸になって織り込まれていることが実感できる.また,答申の具体的な施策の中に,「優れた研究者の養成・確保」という項目が設けられ,大学院研究組織や若手研究者支援体制の整備の重要性が謳われ,さらに,研究者の流動化促進が研究組織活性化のために重要であると訴えられていることも注目に値する.筆者は,この答申で提言されていることは,全体として我が国の学術研究の近代化と振興に資するものであると思っており,また,一人の研究者として今後も協力していきたいと考えている.  

 私たち日本人の作る社会は,往々にして個性の発揮しにくいものであり,常に隣人と同じ歩調を取ることが無難な選択と見られてきた点があることは否めない.一方で,広く世界に目を向ければ,個人の貢献を目に見える形で顕彰してきた伝統を持つ社会もある.個人の名前を作品や業績に冠している事例などはこの典型であり,例えば,ユリウス暦やナポレオン法典などはまさに天才の偉業を伝えている.また,米国やヨーロッパに行くと,道路や空港など公共のものに人名を冠して呼んでいる例が多いのに驚かされる.ドゴール空港やケネディ空港など,すぐに浮かんでくるものの他に,例えば大学の中にも顕著な業績をあげた人や多額の寄附をした人の名前の付いた建物やホールを数多く見つけることができる.さらに,生化学の世界でも個人の名前を付けて概念や現象・物質を呼ぶ例はよく見かける.例えば,クレブス回路,ワールブルグ効果,エムデン・マイヤーホッフ経路,岡崎フラグメントなどは,通称であるにしても教科書に見かける事項である.このような事項を目にすると,他人から名前を付けて呼ばれても大丈夫なように,自信を持ち,責任を持った研究成果を発表することの重要性を再認識させられる.一方,独裁者が権力を誇示する目的で自分の名前をあちこちに付ける場合もあるので,注意しなければならない.このような伝統が個人崇拝や宣伝行為に繋がらないようにする工夫も大切と思われる.  

 「千と千尋の神隠し」という映画のなかで,神隠しにあった少女が名前を奪われてしまうこと,一方,神隠しから戻るときには名前が戻ることの様子が見事に描かれていたが,筆者はそこには名前を明らかにし,自分の行為に責任を取ることが,社会性を持った個性の確立に直結するという意味も込められているように思う.作家の塩野七生さんが,新年のインタビュー(朝日新聞1月6日)で,法律にその制定に尽力した大臣や関係者の名前を通称として冠して呼んだら,政治がもっと身近になるかもしれないと話している.例えば,「有事立法」という名前よりも,立案の中心になった大臣と影の内閣の大臣の名前を冠した「久間・前原法」の方が,政策に人間味が加わり,また,政治家の名前が(良きに付け悪しきに付け)評価に繋がる形で残るのではないか,という塩野さんの主張は傾聴に値するものと思う.  

 「知的存在感のある国」へ向かっての学術研究の中心となるのは,大学である.大学法人では,今後,中期計画や年度計画に対する審査や評価が始まる予定であるが,先駆的な組織では,それに加えて,研究者・教員の個人評価への取り組みも試験的に始まっていると仄聞している.このような環境では,個性あふれる計画を提案し,認められて支援を受けたときには,その達成度に対する評価を受け入れるような研究スタイルに慣れていく必要がある.すなわち,研究者は個人の責任で研究を提案し,研究結果・成果に対して責任を取る.業績に名前が冠されるような文化,換言すると,正当に個人の業績・貢献が評価される文化は,学術・科学研究に関して言えば,このような研究スタイルから自然に派生するもののように思われる.筆者は,研究者の側がこのような変化を受け入れるのは大切な点であると思う.同時に,社会の側には学術研究に対する手厚い支援をお願いしたいと思っている.実際に,上述の答申の中にも,「学術研究は,広い意味で文化の発展や文明の構築に大きく貢献が期待されるものであり,国が中心になってその振興に努めるべきである」(一部省略)とある.まさに,我が国の学術・科学は国民の培ってきた世界に誇りうる文化なのである.国だけではなく,広く社会一般に今よりもはるかに強く学術・科学を支援する気運を醸成できないものだろうか.現状では,大学法人は急激な制度変革への対応で混乱している様子であるが,体制を立て直し,流動的で活性化した研究組織を造り上げることで,大学の学術・科学研究が総合的に発展し,磨かれた研究成果が次々と世界に向けて発信されることを期待したい.