生化学バイオフォーラムより

「研究者に至る二つの道」      山本雅之

     
 
研究者養成の基礎教育には,手技的な面での習熟から,論文読解力の涵養,さらに,自らの論文作成に至るまで多くの事項が含まれる.これらを幅広く総合的に学習するためには,効率のよい教育プログラムの形成が必須である.これまで筆者自身が受けてきたトレーニングを通して考えると,研究者の再生産(もしくは高度職業人の養成)に当たっては,おおまかに言って二つの方式が存在するように思う.その一つは「放任モデル」であり,もう一つは「誘導モデル」である.  前者のモデルでは,研究者養成のためには,常に発想の自由度を磨き,自然の法則にどのようにアプロ−チするのが面白いのかを考える訓練が重要であると考える.その根底には,学生は内的な思索の積み重ねを経て自律的に研究者となり,研究能力を磨きながら自ら目的地にたどり着くものであるという発想がある.したがって,学生側はどのようなトレーニングを受け,何を目指して進むかを自覚的に考える必要があり,それに対して,教官側は基本的なテーマや研究環境を準備し,得られた結果に関する解釈・評価を協力して行う.一方,後者のモデルでは,優れた研究者の育成のためには,指導する側の教育への積極的な関与が必要であると考える.すなわち,研究者は弱いものであり,常に教授/先輩の叱咤激励を受け,論文を書くことを義務として課されながら,ようやく目的地にたどり着くので,しっかりとしたプログラムや指導体制を確立して,研究者の「卵」を積極的に育成していくことが重要であると考える.  

 二つのモデルは互いに厳しく対立するものではない.例えば,時間軸で考えれば,前者がポストドクレベルを対象にすると理解しやすい面があるのに対して,後者は大学院学生を対象にすると考えやすい.また,後者が標準的・平均的な研究者の養成を視野に入れているのに対して,前者は一種のエリート養成主義を包含している点は否めない.筆者は,我が国の大学制度が大きく変貌する中で,各組織が優れた研究者養成のためのプログラムを整備・発展させていくことは緊急の課題と考える.この際に,各組織で特徴のある方式を考案することが重要であり,上述の二つのモデルはそのための参考になるものと思われる.研究者養成に定評のある研究室では,単なる徒弟制度を超えた,優れた教育方式が存在するのではないだろうか.そのような方式や経験を学んだり,交流したりすることも大いに参考になるものと期待される.一方,学生を単なる研究補助者・労働力と考え,データのみを要求するようでは,「科学立国」の担い手の育成はおぼつかない