鎌状赤血球症とKeap1-Nrf2制御系
 
鎌状赤血球症は、赤血球で酸素を運搬するヘモグロビンの異常によっておこる遺伝性疾患であり、アフリカ、中東、インドなどで多くみられます。本症患者の赤血球は、酸素濃度の低い毛細血管に入ると鎌状に変形する性質をもっています(図1)。鎌状になった赤血球は、毛細血管内をスムーズに通り抜けることができなくなるために、血管内に詰まります。この一時的な血管閉塞は、虚血再灌流障害を引き起こし、周囲の細胞に酸化ストレス障害を与えます。また、鎌状化した赤血球は、毛細血管内で破壊されやすく、赤血球内から血液中にヘムが流出します。流出したヘムは、周囲の細胞に酸化ストレスを惹起し、障害を引き起こします。さらに、酸化ストレスによって細胞が障害されると、周囲組織に炎症が生じます。このような複合的なメカニズムによって、鎌状赤血球症では肺や肝臓などの様々な臓器に障害が起こります。

 
現在、鎌状赤血球症の治療薬として認可されている薬はヒドロキシウレアのみです。ヒドロキシウレアは、赤血球の鎌状化を抑制する作用がありますが、鎌状赤血球症患者の約3分の1には効果を示しません。そのため、新たな治療薬の開発が待ち望まれています。これまで創薬の方向性としては鎌状化の抑制を目的とした治療戦略が考えられてきましたが、現在までにそれは実現していませんでした。

 
Nrf2は、私たちの体を酸化ストレスなどから守るために働く遺伝子発現制御因子(転写因子)です。私たちは、Nrf2を活性化し、生体防御の能力を高めることにより、鎌状赤血球症の症状を改善できないかと考えました。ストレスのない状態では、Nrf2の機能はKeap1によって、常に抑制されています。そこで、本研究では、鎌状赤血球症モデルマウスを、Keap1の発現が弱い(Keap1ノックダウン)マウスと交配させることによって、全身でNrf2が活性化したモデルマウスを作製しました。このマウスでは、通常の鎌状赤血球症モデルマウスでみられる肝障害や肺の炎症が軽減されていました(図2左上)。本モデルマウスでは、鎌状化による赤血球破壊の程度は変化していませんでしたが、Nrf2の活性化によって血液中のヘム量が減少していました。これらのことから、Nrf2の活性化は赤血球の鎌状化の抑制ではなく、鎌状化によって引き起こされる酸化ストレス障害や炎症を抑制することによって、鎌状赤血球症の症状を改善していることわかりました(図2右)。さらに、私たちは、鎌状赤血球症モデルマウスに、Nrf2活性化剤であるCDDO-Imを経口投与することによっても、同様の症状改善効果がみられることを明らかにしました(図2左下)。このことは、Nrf2を活性化する化合物が鎌状赤血球症の新規治療薬となる可能性を示しています。

 
私たちは、この成果を米国の学術誌「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS)」(米国科学アカデミー紀要)に発表しました(参考文献)。また、本研究成果は2015年9月15日の「日刊工業新聞」に取り上げられました。

 
私たちは現在、Nrf2活性化剤を鎌状赤血球症の新薬に繋げるために、さらなる研究を行っています。Nrf2活性化剤は、すでに多発性硬化症の治療薬としてジメチルフマル酸が米国および欧州で認可されています。さらに、私たちは製薬企業と共同で、より効果が高く、副作用の少ないNrf2活性化剤の開発を進めています。Nrf2活性化剤を効率よく開発するためには、Nrf2活性化による鎌状赤血球症の症状改善効果の分子機構を明らかにする必要があります。具体的には、「体内のどの細胞でNrf2を活性化させることが症状改善に繋がっているのか?」や「その細胞内でNrf2がどのような標的遺伝子を活性化(または抑制)することが症状改善に重要なのか?」を解くことが次の課題です。この疑問を解決するために、条件付きNrf2活性化マウスを用いて、様々な細胞種で特異的にNrf2を活性化させた状態を作製し、症状改善効果を検討しています。私たちと一緒に研究しませんか?研究室に参加してくれる大学院生を募集しています。詳細は大学院生募集のページをご覧下さい。

 
参考文献
Keleku-Lukwete N, Suzuki M, Otsuki A, Tsuchida K, Katayama S, Hayashi M, Naganuma E, Moriguchi T, Tanabe O, Engel JD, Imaizumi M, Yamamoto M. Amelioration of inflammation and tissue damage in sickle cell model mice by Nrf2 activation. Proc Natl Acad Sci U S A. 112:12169-12174, 2015

 
図1 鎌状赤血球症による多臓器障害
正常な赤血球は、円盤形をしており、自在に変形しながら毛細血管内をスムーズに通り抜けることができる(図1左)。一方で、鎌状赤血球症患者の赤血球は、毛細血管内で鎌状に変形する(図1右)。これによって、血管内に鎌状赤血球が詰まり、虚血再灌流障害を引き起こす。また、鎌状赤血球は血管内で破壊されやすく、血液中にヘムを流出させる。これらの作用によって、周囲の細胞に酸化ストレスが惹起される。また、周囲の細胞が障害を受けることにより、炎症が誘発される。このことによって、鎌状赤血球症では、多数の臓器に障害が起こる。

 

 
図2 本研究成果のまとめ
Keap1ノックダウンマウスとの交配による遺伝的なNrf2の活性化や活性化剤の投与による薬物誘導的なNrf2活性化によって、症状の改善効果がみられた(図2左)。これらのNrf2活性化マウスでは、赤血球の鎌状化は変化しなかったが、酸化ストレス障害や炎症が軽減していたことから、Nrf2はこれらを抑制することによって、鎌状赤血球症の症状を改善していることが明らかになった(図2右)。

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